ブラン・オージェの歴史
1895年、ジョージ・オージェは、後にシャンパンの原産地となるフランスのコルマにてぶどう栽培を始めました。
彼こそが、現在のシャンパン・ブラン・オージェの原点。
1955年、ジョージ・オージェの他界後、彼の3人の子供、モーリス、ガブリエル、ジルベールが農園を受け継ぎます。
しかし3年後の1968年、農園を分割しそれぞれが別々に運営をするように・・・
1991年には、3人兄弟の一人であるガブリエルが農園を去り、彼の農園は2人の娘に分けられます。
その一人が、ブラン・ジェラール・フィリップの妻クロディーヌ・オージェ。
そう、ブラン・オージェという名前はこの夫婦にちなんで付けられました。
1993年、3人兄弟の一人モーリスが後継を残さず他界したのをきっかけに、クロディーヌ・オージェは彼の農園も引き継ぐことになります。
そのたった2年後の1995年、クロディーヌ・オージェが他界。
彼女の夫、ブラン・ジェラール・フィリップが事業を引き継ぎました。
彼は、プレスセンターの創設・作業方法の改善に取り組み、事業の発展に励みます。
そして遂に2000年、現在の「シャンパン・ブラン・オージェ」が誕生します。
2008年、ジェラール・フィリップ・ブランの引退を機に現在は息子であるセドリックが事業を受け継いでいます。